|
松坂屋の歴史 |
||
---|---|---|---|
|
1611 |
||
創業1611年(慶長16年)織田信長の小姓であった伊藤蘭丸祐道が、本能寺の変の後、武士を捨て商人になったのが、松坂屋の前身・いとう呉服店の始まりです。 |
|||
|
1745 |
||
京店(きょうだな)と祇園祭順調に商いを伸ばし、1745年(延亨2年)、高級呉服の本場・京都に仕入店を開設しました。地域との結びつきも強く、1833年(天保4年)、祇園祭のシンボルである山鉾「北観音山」の復興に一役買いました。 |
|||
|
1768 |
||
江戸へ進出最大の消費地である江戸へ進出したのは、1768年(明和5年)のことです。寛永寺や尾張徳川家、加賀前田家の御用を承る大店として知られました。1855年(安政2年)の安政の大地震では、「江戸商人第一の損失」といわれるほど多大な損害を蒙りましたが、直ちに再建し、その店開きに合わせて歌川広重の「江戸名所百景下谷広小路」が版行されました。 |
|||
|
1868 |
||
西郷隆盛と土方歳三元号が慶応から明治に変わる1868年(慶応4年)、彰義隊と官軍による上野戦争が起こりました。このとき、大村益次郎率いる官軍の本営になったのが上野店です。戦争の翌日、維新の大立て者西郷隆盛が上野店に立ち寄りました。幕末のもう一人の大スター・新選組の土方歳三は、これより20年ほど前に、上野店で丁稚奉公をしていました。 |
|||
|
1907 |
||
陳列販売1907年(明治40年)、上野店は、江戸時代から続いた座売りを陳列式立売りに改め、呉服に加え、雑貨、家庭用品なども扱い始めました。ショーウインドーを巡らし、女性社員を初めて採用したのもこの年です。秋には、「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改めました。この頃から百貨店誕生への助走が始まっていたのです。 |
|||
|
1910 |
||
百貨店開業1910年(明治43年)2月、株式会社いとう呉服店を創立。同年3月栄町に進出し、名古屋初の百貨店を開業しました。屋上にドームをもつ3階建てルネサンス風の洋館は、ホール・食堂などの最新設備、斬新な品揃えとともに、「行灯より電灯に代わりし以上の進歩」と人々を驚嘆させました。 |
|||
|
1924 |
||
土足入場関東大震災の翌年1924年(大正13年)に、銀座初の百貨店としてオープンしたのが銀座店です。このとき大型店舗初の土足入場に踏み切りました。(それまでは下足番が履物を預かっていました) |
|||
|
1929 |
||
エレベーターガール1929年(昭和4年)に新築開店した上野店は、最新のエレベーターが10基も備わっていました。このとき登場したのが、わが国初のエレベーターガールです。当時の新聞は、「昇降機ガールが日本にも出来た」「婦人職業の新進出」と、興奮気味に報じています。 名店街今ではお馴染みのデパ地下(名店街)ですが、1936年(昭和11年)、それを初めて導入したのが名古屋店です。名古屋店は、翌年には面積倍増の大拡張工事が完成し、中部地方随一の大型百貨店になりました。 |
|||
|
1957 |
||
シンボルフラワーシンボルフラワーにカトレヤを制定したのは1957年(昭和32年)のこと。以後、半世紀にわたって包装紙などに用いられています。 |
|||
|
1972 |
||
リビンザ誕生1972年(昭和47年)、名古屋店北館が増築され、当時としては先進的な「住」をテーマにした館「リビンザ」が誕生しました。2016年(平成28年)には、大人の男の館「GENTA(ジェンタ)」として全館リニューアルオープンし、上質で高感度なファッションを提案しています。 |
|||
松坂屋美術館名古屋店には、百貨店の施設としては珍しい本格的な美術館があります。1991年(平成3年)南館新築時に開館した松坂屋美術館は、国内外の様々な美術作品を展示し、多くのお客様から好評をいただいています。 |
|||
|
2003 |
||
名古屋店の売場面積最大級に2003年(平成15年)、名古屋店が増築し、売場面積は日本最大級の86,758㎡(ハローナゴヤ)に。このときにオープンした美と健康・リラクゼーションフロア「シスセット」は、クオリティの高さ、きめ細やかなサービス、ゆとりのある雰囲気で、オープン以来多くの女性に支持されています。 |
|||
大丸松坂屋百貨店の歴史へ |